死んだ君に〜For you who died〜
世界は冷酷だ。
駅のエレベーターは足腰のしっかりしてる人ばかり優先され、満員のエレベーターの側でベビーカーを押す母親、杖をつく老人、怪我をした学生が待っている。
電車内の車椅子スペースで悠々と携帯でツイッターをするサラリーマン、気付いてる?
貴方の1m横では車椅子の女性の人が他の利用者の人達の邪魔になって申し訳無さそうに俯いてることに。
貴方が鞄を置いてる点字ブロック、その先から白杖を付いてる人が来てるの、ちゃんと分かってた?
俺が声かけたら面倒くさそうに鞄避けたけど、声かけなくても貴方は事前に鞄をどかせた?
駅構内だけでも、世界は冷酷や残酷に満ちてる。
きっと外の世界はもっと満ちてるのだろう。
ただきっとあの時の貴方達は違う時の俺であるし、あの時の俺は違う時の貴方達なんだろう。
見て見ぬ振りをしては、全てが終わってから罪悪感に溺れてく。
自分の正当化に必死なだけだ。
同じ穴の狢、この世界が残酷ならそれは俺が残酷なだけなんだ。
差別が福祉や優しさを生む。
もう少しだけ自分に対して無関心でありたい。
それだけでもう少し楽に生きられる気がする。
誰だって誰かを攻撃したい、陥れたいわけじゃない。
俺らは他人の意見に反対は出来ても、それを主張する権利まで否定するほど偉くは無い。
誰もが笑い合える世の中なんて不可能だし、俺の幸せが誰かの不幸になることもある。
取り繕う優しさで相手を保護するぐらいなら、いっそ相手を蹴飛ばすぐらいに徹底的に拒絶したほうが無駄な感情に苛まれずに済むのだろうか。
今日の俺は明日の朝には死んでるし、明日の俺は明後日の朝には死んでる。
眠りとは死に近づく行為。
ヒュプノス(眠り)の兄弟がタナトス(死)というギリシャ神話が語るように、そう考える人も多かったのかな?
地上より永遠に届かない、数十年後の死んだ君にいつかこの文章を読んで欲しい。
きっと恥ずかしくなって、馬鹿げてるだろうから。
つづく