ハッピーエンドにさよならを

漫画、小説、音楽、サウナの雑記

解放、開放、懐抱、壊崩

Twitterの「こめ」アカウントを削除して1ヶ月以上経った

Twitterのアカウントは削除しても30日以内なら復活出来る為、「まぁ頃合見て復活しようかなぁ」と思ってたら完全にこめアカウントを忘れてて、削除してから30日を超えてた

10年以上やってたのになぁ〜と思いつつも、自分が10年間もTwitterをやってる事に恐怖を感じた

結局今はサウナ施設の公式アカウントやお笑い芸人や漫画家、ネコチャンアカウントしかフォローしてないアカウントを見てる

ほとんどツイートもせず、自分の好きなものがイイね欄に貯まってく(ほとんどネコチャンの画像)

 

僕がTwitterのこめアカウントを消したのは、もう疲れちゃったからだった

くだらない情報ややり取りがゴミのように流れてくるタイムラインは文字だけのはずなのに、耳をつんざくような五月蝿さだった

それに自分の居場所はここでは無いし、ここを主軸にする気がさらさら無い事にも気付いた

 

僕は今広島に居て、地元の東京とは1000km以上離れてて(離れてるよね?)ハード的な距離があるけど、ネットワークを介在することでソフト的な距離は0だった事ももう僕には苦しかった

ハード的な交流とソフト的な交流のバランスが完全に崩れてた

ハード的な交流が欲しいのに、ソフト的な交流ばかりが積もっていって、余計にハード的な交流への憧憬ばかりが燻っていった

そもそもソフト的な交流に関しては僕という人間のキャパを超えてたと思う

元々狭く深い付き合いをしていきたいタイプなのに、いつの間に広く浅い関係ばかりが出来上がってた

 

じゃあもうそれを全部無くして、本当に必要なものだけを再構築していくしかない

創造の前には必ず破壊がある、破壊とは創造の一部ともいえる

 

そうして「こめ」という偶像はSNSから消滅していった

まぁサウナイキタイとかもあるけど、あれはSNS的な側面は薄いしね

 

結局僕らは見たいものを見たいようにしか見れないし、どれだけ雄弁に、さも説得力があるような論調でも、事実とは異なったバイアスで言い回しの工夫をしてるに過ぎない事が多い気がする

この意見さえも僕が他者に持つ懐疑心がそうさせてるに過ぎない

 

ただひとつ、揺るがないのは、

俺は俺の事が嫌いな奴は殺したいぐらい嫌いだ

でも実際に殺す事なんて出来ないし、俺が死ぬほうが手っ取り早い

だからこめは死んだ

この画面越しに見てるお前が殺したのかもね