The TESTAMENT
最近ブログを細々とでも書き続けたいと思ってる
コロナ禍のこともあるけど、色々と死について考えることが多く、その仄暗い影は確実に色濃く俺に近づいてきている気がするから(別に病気とか精神病じゃないです)
俺の本名をネットで検索するといくつかヒットする
珍しい名前だから十中八九俺自身のもので
だけどそこにあるのは他者から見た俺自身であって、本当の自分とのギャップが確実にある
自分自身ですら知らない本当の自分は他者が量れるはずも無く、自分が書いたであろう文章ですら半年も経てば別人が書いたような感覚に襲われる
文才が有るか無いかで言えば、無い
それっぽくデコレーショする事ばかり上手くなり、本質を捉えていることも無いだろう
村上春樹のようなノーベル文学賞候補になるような言い回しも出来なければ
舞城王太郎のようなソリッドでスピード感がありつつも繊細な文章も書けない
最果タヒのような思春期の葛藤を煮詰めつつもスムーズに入り込む文章も書けない
ふちうさんのような人の心の底に黒く燻ぶってる何かをグッと鷲掴むような文章も書けない
村上龍のようなポリティカルで暴力を纏う文章も書けない
森博嗣のような理詰めで展開しつつも高尚なウィットさを差し込むような文章も書けない
結局は俺は俺のことでしか書けないわけで
無いものねだりで、おもちゃが欲しくて地面に転がって泣きわめく子供と何も変わりはない
大きくなっただけの子供、俺も、君も、貴方も、彼も、彼女も
下手くそでも良いから、何か残しておきたいと思った
もし10年後も生きてたら、懐かしめるような拠り所が必要なのかなって思った
きっとそれが何かに繋がることがあるかもしれない
友達もいない広島で独りの生活だから余計にそう思うのかもね
これは絶望の宣言ではなく、希望への13階段だ
息ある限り、希望を捨てず
つづく