世界は理系で出来ている
※2017年4月に書いた文章らしくトゲトゲしてます、不快に思われる方がいたらすみません
アルバム出す出す詐欺で有名な某Y氏率いるX JAPAN 案の定アルバム発売延期やんけ~ しかも理由は花占いとか何で50歳の良いおっさんが花占いしてるんだよ・・・ あとYOSHIKIは年齢不詳にしてるけど、幼馴染で同級生と公言しているToshIが普通に年齢公表してるから意味無いことにいい加減気づいてくれ
最近職業柄、電気や化学の勉強をしているけど僕らの日常を構成する様々な要因の多くは、理科や数学により理論づけられ、実践されている
ただその理論理屈を理解する人は相対的に見れば非常に少ないが、それでも誰もが部屋の明かりを点けることが出来るし(電気が通ってれば)、喫茶店へ行けば美味しいコーヒーを飲むことができる(お金があれば)。
つまり、過程を理解しなくともその結果を享受するだけで僕らの生活は成り立つことが出来るし、口を開けて待っていれば更なる技術革新により、より美味しい食事、より便利な生活を知ることも出来る。
ただ少しでもその過程について学び、知ることが出来れば毎日の生活が少しずつ楽しくなるのではと個人的には思いますし、実際に僕はそうです。
生活の中で見るものの視点が変わったし、自分の学んだ知識がこういう風に生活に繋がっているのかと実感でき、もっと勉強したいなと思うようになりました。
昔からですが、何事においても成果を出すためには経験や人間性ではなく知識(情報)が最も大事だと考えています。
昔の漫画やらドラマでは型破りな人間が描かれがちですが、型を破るためには型を知る、型を作る必要があります。
知識があれば経験がなくても理論としては理解できるので様々な予測が出来ますし、人間性が合わなくてもその分野に限定してですが一定のラインまで信頼を得られると思います。
また仕事だけでなく人生においても豊かな知識は豊かな選択をもたらします。
英語が出来ればコミュニケーションをとれる人の数は世界中に広がるし
政治経済が分かればニュースを見たり新聞を読むのが楽しくなるし
地理が出来れば旅行の選択肢も広がるし
歴史が分かれば自分の国の伝統やバックグラウンドを知れるし
数学が出来れば論理的思考に触れることが出来るし
化学や理科が出来れば日常の不思議が解決出来るし
国語は基礎学問なので国語が出来れば他にたくさん応用が出来る
また、国語しか出来ない人と、国語と理科が出来る人では就職や進学でもその選択レンジは大きく変わりますし、そもそも理科や数学を出来る人は自ずと国語も出来る。
個人的な見解では「学校の勉強なんて社会に出ても何の役にも立たねぇよ~」っていうタイプほど自分の意見や考えを持ってないし、他人に流されやすいという感じがします(全員では無いですが)。
まぁ自分を形成するための知識量を蓄えられなかったんでしょうね・・・ 考えてほしい、中卒じゃ就職出来ない仕事が多いことを、大学まで出ないと就業できない仕事が多いことを。
別に学力を求めているわけではなく、学ぶ姿勢を問いているのかと思います(経済的な理由などはひとまず置いといて)。勉強で目的も分からずやると苦痛ですからね、その忍耐とかも見られているのかも。
まぁ何が言いたいかというと、何かを学ぶというのは素敵やん☆ということです。 あぁ学生時代にもっと勉強しておけば良かった
パイパイ
必然に芽生えるファクト、意志を持ち行き着くリザルト
昔から自他共に認める面倒くさがりやで、可能なことならゴロゴロして毎日過ごしたい
だけど現実はそういかなくて、生きる為、健やかに死ぬ為に働き続けなくちゃいけない
働くうえでもなるべく面倒な事を避けたい
でも仕事は不思議で面倒な事を避けるために他の面倒な事に腐心しなくちゃいけない場面が多い気がする
世界はまだまだ俺を馬車馬の如く消耗させたいらしい
新システムの導入で大混乱してる中、バックオフィスは休職者が出たり、辞める人が出て来てる
みんなピリピリしてる
もう分かったから好きなだけ俺をサンドバッグにしてくれ
はっきり言って俺は疲れてる
仕事に疲れてる
生活に疲れてる
俺自身に疲れてる
みんなも疲れてるからお前ばっか泣き言言うな?
うるせぇ、俺は俺でお前はお前だ
別に良いだろ、そんぐらい?
サウナに行きたかった、だけどサウナに行きたくなかった
拷問かと思うぐらいに熱い木の箱の中で焼かれて、拷問かと思うぐらいに冷たい水の中に沈んで逝きたかった
だけどサウナに行きたくなかった
それぐらいおかしくなっていってる
コミュニケーションに飢えてるんだ
二律背反
Go to トラベルは停止しても経済が動く限り感染が止まらないのでは?と思う
そもそも着地だけの停止じゃなくて発着地ともに停止させなくちゃ意味が無いのでは?と素朴な疑問
ただ結局、政府の詰めの甘さが露呈したかなと
焚き火をしてるのに消火用の水を用意してなくて、焚き火が他の場所に飛び火して「ヤバい!どうしよう!」って考え込んでるイメージで勝手にいる
Go toトラベルと感染拡大の因果関係がどれほどあるのかは知らんけど
事実とは結果に内包されるもので、事実を読み違えれば結果は望んだものとは違くなる
そして結果からしか見えない事実もある
結局は未確定、あやふやなものばかりの事象だけど、ひとつ確かなのは、俺は明日も働くということ
ただ寝坊してやろうかなと思ってるのはここだけの話だ
深い川
終わり亡き日差しは眩い程残酷で』
「流転の塔」 Dir en grey
Dir en greyの「Dum Spiro Spero」は全人類が掛け値無しに賞賛する超絶名アルバムであることは間違いないし、Dir en greyが長年のバンド活動の中で真理に最も深いところにある超構築系聴くとめちゃくちゃ疲れるアルバムなんだけど、それは一旦置いといてこのアルバムを聴くといつも僕は脳内にタイの景色を思い浮かべてる。
何故ならこのアルバムが発売された2011年8月、アルバムの発売から確か2日後ぐらいから僕はタイに約半年程大学院の研究で住んでたから。
それまで研究の関係で2週間とか1ヶ月とかタイに滞在したことはあったけど、半年という長さは初めてだった
だからこのアルバムを聴くと思い出すのは、
バンコクの露天商で買って食べたマンゴーだったり、
タイ東北部の農村で漕いでいた木のブランコ、
タイ中部の農村の謎の祭り、
バンコクのショッピングモールの前で寝て警備員に起こされたり、
ビザを延長させるために日帰りでカンボジアに入国して即戻ったり、
土砂降りのスコールの中いきなりタクシーを降ろされて茫然としたこととか…
思い出は沢山あるし、ディルのアルバムをずっーと聴いてたから本当に聴くと当時のことを思い出す。
アルバム自体も何となく東南アジアっぽい雰囲気あるしね。
思い出の中でひときわ印象に残ってるのは東北部の農村での寺院の光景だ
夕方の4時頃、蒸すような暑さに纏わり付かれながら案内された寺院
扉の奥には黄金に輝く仏像と備え付けられたロウソクや食料
そしてその前には多数の人が、ひたすらに、拝み、何かを唱え、縋るかのように祈りを捧げてる
その光景を見て僕はその神々しさや、敬虔な雰囲気に飲まれ、鳥肌が立ったのを今でも覚えてる
日本は世界的には珍しく無宗教が多く、タイは南部を除きその殆どがブディストだ
「祈る」という行為は日本では日常的なものではなく、参拝時に個々で勝手に祈ってるぐらいしか見る事はない
後にも先にも本当の意味での「祈り•祈祷」を見たのはあの時だけだ
暑い中、硬いタイルの上で正座をして、手を合わせひたすらに祈る
そこには祈祷という行為を通して顕在化した信仰心が濃く満ちていたし、今まで遭遇したこと無いパワーにとてつもなく圧倒された
何となく、何故宗教が対立するのかというのが言葉には出来ないけど、肌で感じとれたと思う
今でもその時の光景は焼き付いてる
バンコクからバスで7時間、さらに幹線道路からも5kmぐらい離れた地方の小さい農村
閉鎖性の高い立地だからこそ、飽食とは無縁な環境だからこそ、人は何かを頼りに、縋ることで生活を成り立たせてるのかもしれない
このタイの東北部の村は英語を喋れる人が1人しかおらず、その人がすごいお世話してくれて、休みの日は市街地に連れてってくれたり、釣りに連れてってくれたりした
そしてバンコクに戻る時、バスステーションまで連れてってくれて、要らないって言ったのにバス代も払ってくれて最後までお世話になりっぱなしだった
そういうのも元々は仏教用語であった「喜捨」という考え方に由来してたのかもしれない
ちなみにタイにいる時に読んだ遠藤周作の「深い川」、ばちくそに名作です
ぜひ死ぬ前に読んでほしい一冊の1つです
ちなみにタイから帰国した僕を待ち受けていたのは携帯料金15万円という地獄でした
『忘れたくない流浪の過去 不整脈の現実を見つめる死と
終わり亡き日差しは眩い程残酷で
喉を鳴らす未来 お前も振り返れない』
不幸のバリエーションは幸せより遥かに豊か
自分から見れば右側だけど、対面にいる相手からすれば左側のように、居る環境、立場、役割によって見える物というのは180度姿を変える
真実の裏も真実である
相手に向き合うということは、お互いの差異をいかにイメージ出来るのか、自身の想像力で補えるかという事が大切、というよりそこに尽きると言って良いかもしれない
だからこそ、僕らは失敗するし、僕らは感動も共有できる
だからこそ僕らは横に立とうとする
悲劇はいつだって裏口で僕らを待ってるし、幸せを渇望する程不幸せな事は無い
そんな事言われなくても気付いてんだよ
ヘトヘトでホテルに帰ると目が真っ赤で、足が鉛のように重い
東京のコロナ感染者が1日で500人を超えた
あぁ分かった、分かったから俺のことはほっといてくれ
とにかく疲れてるんだ
見て見ぬふりしていてくれ
散弾銃のように16方位から撃ち込まれた戯言が、熱を帯びて体内に燻ってる
ホテルの部屋が暑い
空調集中管理の建物の1番嫌いなところ
ベタつく肌
こんな日に限ってサウナに入れない
熱を帯びた部屋、タバコの煙だけが生きてるかのように踊ってる
俺よりも生きてる
眠い
久々に会った人に「ますます口悪くなったね」って言われた
俺以上に俺の事をよく知ってるなって思った
そのサウナ、徒に想う
個人的に、所沢のベッド&スパのケロサウナがストーブをHARVIA2台体制にすると知り衝撃を受けてる
木材の宝石と呼ばれるケロ材を使用したケロサウナ、関東圏だとベッド&スパと舞浜のユーラシアぐらい?(某池袋のサウナはケロ材を混ぜた木材を使っているだけなんでケロサウナとは正直言い難いと思っている)
横浜のスカイスパのサウナもケロサウナだよって聞いたことあるんだけど本当??
まぁともかく、サウナ好きの絶対命題は”熱いサウナとキンキンに冷たい水風呂”だと思う、てか俺がそうだけど、熱くないのに良いサウナって意外と無いよなぁてふと思った
熱くて良いサウナ、を作るより、熱くないのに良いサウナ、を作る方がはるかに難易度が高いと思った
体感温度以外にサウナの善し悪しを決める要素とは何なのか?
雰囲気と匂い
じゃないかと思う
善し悪しの基準は人それぞれだから、重視する内容も人それぞれだろうけど、俺にとってはこれかなぁと思った
雰囲気ってざっくりしてるけど、照明であったり、内装の色合い、座面の配置、窓の配置やサイズ、TVの有無など、色々な要素があるけど共通して言えるのはサウナ室自体のハード面に由来する
それ故、一度バチっと決めてしまうそれを変えることは難しく、無難な方向にいきがちだけど、お店の個性を出せる点でも思う
個人的には四国健康村(香川)、天拝の郷(福岡)、カプセル&サウナ日本(広島)の雰囲気が好きかなぁ
そして匂い、某eightもドルチェ&ガッバーナと歌っているように重要な要素なのかもしれない
なんの匂いか分からないけど良い匂いがするサウナって時々あるんだよね
でも香太くんがあるだけでも良い匂いになるんだけどね笑
個人的には、匂いが良いサウナって言ってるけど、ちゃんと清掃や手入れがされてれば自然と木材が蒸された良い匂いがする
自然と匂いが良いサウナになる
まぁ何を言いたいかと言うと、今までの所沢のケロサウナが好きだったし、これから生まれ変わるケロサウナも期待してます、てお話でした
洋服を上手に畳めない32歳児
朝10時頃に目が覚めて、少し仕事をしてから一気に部屋の掃除をした
別に家事は嫌いじゃないし、人並みには出来てると思うけど、唯一何年たっても出来ないことがある
洋服を上手に畳むことが出来ない
料理は出来る
部屋もいつ人が来ても大丈夫なぐらいには綺麗
トイレも3日に1日ぐらいは掃除するし
ゴミも溜めない
ただ洋服だけは上手に畳むことが出来ない
さらに言うと上手、下手以前に畳むことが出来ない
昔から洋服屋とかでも服のサイズ感を知りたく広げても、買うならまだしも買わないときその後に畳むことが出来ず、かといってそのままほっといとく訳にもいかず、シャツを片手に店員さんが来るまで立ち尽くすことになる
ネットとかで洋服の畳み方を調べたり、人から教えて貰ってもそれも理解出来ない
何故だか分からないけど理解できないし、とりあえず同じようにやってもくしゃくしゃになってテンションが落ちるだけ
かといってせっかく洗濯した服をくしゃくしゃにしたくない…
だから自ずと洋服はハンガーにかけることになるため、家にハンガーが40本ぐらいあるし、めちゃくちゃスペースを取る
多分脳みそから服を畳むのを司る部分がごっそり欠落してるのかもしれない
あと、新しく買った靴に靴紐を通すのが苦手
通せるんだけど、バランスがおかしかったり、足の甲のところがきつかったり、緩すぎたりしちゃう
新しく買った靴は家の中で履きたい民だから、早く履きたいけどうまく調整が出来なくてイライラしちゃう
でも服を畳むよりかはまだ上手く出来る
このまま上手く洋服を畳めないまま、ハンガーにまみれて年老いていくと思うと胸が熱くなるな…
今日夜いきなりムラムラっとして、高速を飛ばしてリブマックスリゾートocean宮浜温泉に行った
満室だから混んでるかもと言われたけど、サウナはそんなことなく貸切の時間もあってしっかり堪能
90度ながらも15分に1回のオートロウリュのおかげが湿度が高く、熱い熱い
水風呂も16度前半をキープ
そして露天スペースでは椅子に座りながら遠くに見える岩国の明かりを見ながら気持ち良い夜風にふかれる
厳島は夜の海と相まって全然見えないけど、これはこれで良いなぁ
もちろん、サウナ後は裸で一服
たまらんち…
もう本当に仕事が忙しい
12月1週目まで予定が詰まってる
大してもうこの仕事に興味が無いから苦痛でしかない
そのせいか、今日見た夢は転職して前職の先輩と働きながらヤク中から逃げる夢だった
逃げる夢を見ることが多いなと思った
疲れてるんだろうなぁ
神様は救わない、壊れたおもちゃなど
どれだけ言葉を積み重ねようとも、届かない人には届かないし、箸にも棒にも掛からない
それでも歩みを止めないのは、心に触れたいからで、弱い俺はそのまま穢れ落ちながらもポケットの中の言の葉を電子の海に降らしてる
たとえそれが無駄であろうとも
宇和島で仕事を終え、あとは広島へ帰るだけ
車で約300㎞4時間の移動
もう車を運転するのが仕事に感じる
そして道中、ちょうど中間地点にある愛媛県今治市のナニワサウナに立ち寄った
車で来たからよう分からんけど、今治駅からも近いのかな?
あんまりサウナ屋っぽくない見た目
入り口から少し入り辛い雰囲気もあるし、階段の蹴上もやけに高いけどえいやぁと入ると小柄で笑顔が素敵な女将さんが出迎えてくれる
「はじめてだよね?」
と声を掛けられ色々説明を受け、90分コース800円で入店
すぐ脇にあるロッカーに服を入れ、腰にタオルを巻いて螺旋階段を上り上階の浴室へ
こじんまりとしたシンプルな浴室はカランが5つに温湯と水風呂とサウナという構成
浴室は貸切状態で体を洗い早速温湯へ
あっっっっっつっっっっ!!!!!!!!!!
熱すぎるだろ…日暮里の斎藤湯の温湯より全然熱い、入れなかった
大人しくサウナ室へ
入った瞬間いきなり熱気に襲われてまたしても「あつっ!!」と思わず言っちゃった
そしてストーブ脇の上段に座ると案の定尻が熱い
いやぁでも良い熱さだ…カラカラよりだけど湿度も多少有り、熱をしっかり肌に感じながら汗ががっつりかける
5分もすれば汗が尋常じゃない
上段の背もたれには綺麗な白い厚手のタオルがかけられており、背中を壁につけてリラックスしてサウナに入れる
あと室内の雰囲気がシックかつロイヤルな感じがしてめちゃくちゃ好きだなぁ
サウナストーブも広島県民にはおなじみの呉にあるノシロ工業社
しかも少し大きめなタイプ
ノシロ工業社のストーブにこんなにパワーがあるとは思わなかった
とりあえず長々書いたけど、本当にサウナが気持ち良い、その一言に尽きる
ただ水風呂は特筆することもなく、ただ水があるというだけな感じ
温度も20度少し下回るぐらいかな?
サウナが良い分残念とは思わず、サウナのクオリティが高いから全然許せちゃう
勿論休憩スペースなんて浴室内に無いからストイックにサウナと水風呂を5セット堪能
その後は腰タオルのまま浴室から出て一歩で入れる向かいの喫煙可能な休憩室に入りタバコを吸えば…はぁ…最高だなぁマジで
休憩室はなぜか2段ベッドがあり、リクライニングは全台マッサージ機
ちゃっかり畳スペースもある
一服後下に降りて、少し女将さんと談笑
もの凄いここのサウナが好きだから写真を撮りたいと言うと
「ありがとう~中々レトロな感じでしょ?笑」
と返してくれてありがたく写真を撮らせていただく
お客さんも俺しかいないしね…
女将さんはレトロって言ってたけど、個人的にはヴィンテージという言葉が似合う感じがした
それは浴室に限らず休憩所も含めて全体的に
経年劣化は否めないけど、綺麗にしてくれてる感もあるしね
そして別れ際に今度はゆったりコースで入って食事もしたいんでまた来ますねと言うと
「おおきに~」
と女将さんに返されてハッとした…そうだ…ここは今治なのにナニワサウナだった…
このおおきに~という挨拶はもしやナニワサウナだから??
いやぁ本当にめちゃくちゃ良いサウナだった
川口のひろいサウナや高知の高砂湯と同じ匂いがするね
てかひろいや高砂湯が好きな人は絶対ナニワサウナも好きだし、ナニワサウナが好きな人はひろいや高砂湯も絶対好きだと思う
またひとつ好きなサウナが増えてしまった
四国…四国健康村や高砂湯、そらともり、共楽湯もあってめちゃくちゃサウナのレベル高くないか?
まだ俺が知らないサウナも沢山あるからもっと色々行きたい
1人で暗くなり始めたしまなみ海道を走る
景色と一緒に思考が流れていく
壊れたもの、形を損なわれてしまったものはもう元には戻らない
何かを得るということは何かを捨てるということで、この手から本当に欲しかったものばかりがポロポロと滑り落ちていく
明日を良い日にしたいなら、そうなるように努力しましょう