深い川
終わり亡き日差しは眩い程残酷で』
「流転の塔」 Dir en grey
Dir en greyの「Dum Spiro Spero」は全人類が掛け値無しに賞賛する超絶名アルバムであることは間違いないし、Dir en greyが長年のバンド活動の中で真理に最も深いところにある超構築系聴くとめちゃくちゃ疲れるアルバムなんだけど、それは一旦置いといてこのアルバムを聴くといつも僕は脳内にタイの景色を思い浮かべてる。
何故ならこのアルバムが発売された2011年8月、アルバムの発売から確か2日後ぐらいから僕はタイに約半年程大学院の研究で住んでたから。
それまで研究の関係で2週間とか1ヶ月とかタイに滞在したことはあったけど、半年という長さは初めてだった
だからこのアルバムを聴くと思い出すのは、
バンコクの露天商で買って食べたマンゴーだったり、
タイ東北部の農村で漕いでいた木のブランコ、
タイ中部の農村の謎の祭り、
バンコクのショッピングモールの前で寝て警備員に起こされたり、
ビザを延長させるために日帰りでカンボジアに入国して即戻ったり、
土砂降りのスコールの中いきなりタクシーを降ろされて茫然としたこととか…
思い出は沢山あるし、ディルのアルバムをずっーと聴いてたから本当に聴くと当時のことを思い出す。
アルバム自体も何となく東南アジアっぽい雰囲気あるしね。
思い出の中でひときわ印象に残ってるのは東北部の農村での寺院の光景だ
夕方の4時頃、蒸すような暑さに纏わり付かれながら案内された寺院
扉の奥には黄金に輝く仏像と備え付けられたロウソクや食料
そしてその前には多数の人が、ひたすらに、拝み、何かを唱え、縋るかのように祈りを捧げてる
その光景を見て僕はその神々しさや、敬虔な雰囲気に飲まれ、鳥肌が立ったのを今でも覚えてる
日本は世界的には珍しく無宗教が多く、タイは南部を除きその殆どがブディストだ
「祈る」という行為は日本では日常的なものではなく、参拝時に個々で勝手に祈ってるぐらいしか見る事はない
後にも先にも本当の意味での「祈り•祈祷」を見たのはあの時だけだ
暑い中、硬いタイルの上で正座をして、手を合わせひたすらに祈る
そこには祈祷という行為を通して顕在化した信仰心が濃く満ちていたし、今まで遭遇したこと無いパワーにとてつもなく圧倒された
何となく、何故宗教が対立するのかというのが言葉には出来ないけど、肌で感じとれたと思う
今でもその時の光景は焼き付いてる
バンコクからバスで7時間、さらに幹線道路からも5kmぐらい離れた地方の小さい農村
閉鎖性の高い立地だからこそ、飽食とは無縁な環境だからこそ、人は何かを頼りに、縋ることで生活を成り立たせてるのかもしれない
このタイの東北部の村は英語を喋れる人が1人しかおらず、その人がすごいお世話してくれて、休みの日は市街地に連れてってくれたり、釣りに連れてってくれたりした
そしてバンコクに戻る時、バスステーションまで連れてってくれて、要らないって言ったのにバス代も払ってくれて最後までお世話になりっぱなしだった
そういうのも元々は仏教用語であった「喜捨」という考え方に由来してたのかもしれない
ちなみにタイにいる時に読んだ遠藤周作の「深い川」、ばちくそに名作です
ぜひ死ぬ前に読んでほしい一冊の1つです
ちなみにタイから帰国した僕を待ち受けていたのは携帯料金15万円という地獄でした
『忘れたくない流浪の過去 不整脈の現実を見つめる死と
終わり亡き日差しは眩い程残酷で
喉を鳴らす未来 お前も振り返れない』