ハッピーエンドにさよならを

漫画、小説、音楽、サウナの雑記

一握りの青

自分が何者かなんて答えは死ぬその瞬間まで分からんかもしれないが、33歳にもなれば少なくとも自分はもう何者にもなれはしないという事ぐらい否が応でも理解出来る

ロックやパンクはそれでも自身の不満や社会の欺瞞を指摘して、何かを訴えかけてくるけどそんなのただのファッションにしか見えず、程のいい口実にしか利用されてないような気がする

本当のロックやパンクをルーツにする反骨精神とは自身の立場や在り方の中でこそ本当の意味をするもので、その自覚の無い言動は微風で飛んで行きそうなタンポポの綿毛よりも軽い

 

自分自身のために生きれる人なんてほんの一握りに過ぎなくて

殆どの人は誰かに消費され、擦り切れ、また誰かを消費する事で日々が流れていく

今日もヨネノナオヤという人間は凡ゆる側面からその本質を削ぎ落とされ、痛みを分け合い、何のために今の生活を送っているのか分からないまま家に帰り、気がつくと日付が変わってた

昨日は夕方から客先でトラブルに対応して、夜9時に街灯もない松江自動車をハイビームで走りながらこのまま誰も知らない土地に行ってのんびり生活したいなと思いながらも夜の11時過ぎに帰宅し、寝て、朝の7時に起きたら体中が酷い怠さだった(合計で6時間ぐらい運転したから)

それでも1人きりの事務所でバリバリ今日も働いて、何十通ものメールに返信して、電話してる間にも電話が来てその折り返しを繰り返して、出る必要があるのかも分からないWebミーティングに出席して…自分をひたすらに切り売りして声だけはヘラヘラさせて今日も乗り切った

唯一の救いは合間を縫って法定点検の為社用車をトヨペットに持ってった時、お世辞にも綺麗と呼べる状態の車内では無かったのに、点検だけじゃなく綺麗に掃除されてて、灰皿に貯まった吸殻も全部捨てられてた

なんか知らんが申し訳ないという気持ちと一緒に心が洗われたような気もした

そして語弊を恐れずに言うならそんな事で救われたれとか心が洗われたと思ってしまう、自分の異常事態さを痛感させられた

 

いよいよ来るとこまで来始めたのかも知れない

眠いし体は疲れてて早目にベッドにはいるのに眠れない日も多い

自分の事が何も分からない

月明かりの無い海に漂い、そのまま海と自分の境界が分からなくなって溶けていきそうだ

何もかも捨てて楽になって、ひっそりと生きていきたい

この死にたいを飼いならせない日が来るのかもしれない