美しい身勝手な幸福論
仕事で四国のうち香川と愛媛を回った
愛媛が思った以上に広くて大変だった
四国は正直住みたいとは思わないけど(基本関東に住みたい)、観光で来たらご飯も美味しいし、景色も気持ち良くとても楽しんじゃないかと思った
ただ綺麗な景色、美味しいご飯を誰とも共感、共有出来ないことがひどく虚しかった
インターネット、ひいてはSNSがあるおかげで誰とでも簡単に情報を共有し、共感を求めることが出来る
だからこそより1人でいることの虚無感が膨れ上がる
皆んなが思ってる程、俺は単純に出来てない
長い長い300kmの旅路
誰もいない松山道
アクセルを全開に踏み込む
時速が150kmを指したあたりから景色が溶けていくような感覚になった
少しだけ目を閉じて、何となくこんな死に方も悪くないかもなとぼんやり思った
まだ死ぬ気は無いけど
結局は他人のためのコミュニケーションなんて存在しなくて、全ては自分の為に相手とコミュニケーションを取る
優しいわけじゃない、打算的なだけだ
それは救いではなく、蔑んだ優しさなのかもしれなき
お前らと俺の肥大化し過ぎた意識が、今日もネットの上で笑ってる
もう少し楽に生きたい
矛盾を許容する美しさと自分を貫ける身勝手さが欲しい
ただ四国で見た綺麗な景色は、いつか大切な人と見に行けたらいいなぁと思った
これは優しさ?それとも蔑み?
つづく