ハッピーエンドにさよならを

漫画、小説、音楽、サウナの雑記

未だ来ぬ未来

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「50秒後に震度3の地震来ます、スタッフはエスカレーターとエレベーター止めて下さい」

 

インカムのイヤホンから聞こえてくる声

 

ボーッと「あ〜地震か…俺は違う持ち場だから大丈夫か」とボンヤリと人が疎らな通路を眺める

金曜日の午後、バイトのシフトは入ってなかったけど、急遽欠員が出たとかで朝イチから連絡がありバイトへ向かう

某TV局の見学案内コースのスタッフ

平日の昼下がりにこんな所にいるのは周辺施設で遊んだ若いカップルがついでに遊んでるか、地方からの修学旅行生ぐらいだ

 

「はい、あと40秒」

「30秒」

無機質に流れるフロア担当の声

「20秒後…震度5…!大きい揺れ来るぞ、至急周りの展示が倒れないか注意しろ!」

いきなり荒ぶるイヤホン越しの声

 

震度5…殆ど経験したことない大きさ

イメージを作る間も無くすぐ通路に出て周りを見渡す

人は居ない、取り敢えず大丈…

と思う間すらも無く、少しの小さな揺れの後、激しい横揺れが始まった

至る所から上がる悲鳴、激しくも鈍い音をたてて軋む展示物

どのぐらい揺れたかなんてもう覚えてない

一瞬だった気がするし、3分ぐらい揺れてたような気もする

 

揺れが収まって、ブロック長が通路を走って回って各所を確かめる

イヤホンは混線状態であるゆる社員や準社員の状況確認、報告の上擦った興奮気味の声が聞こえてた

 

なおも続く細かい揺れ、取り敢えずお客さん、従業員ともに避難する為に1ヶ所に集め、階段で地上へ降りることに(元々5階にいた)

TV局ということもあり、至る所にTVがあり、緊急ニュースで色んな情報が即入ってくる

不安になって家に帰りたいと泣き喚く修学旅行であろう制服姿の女の子が居たのは今でも覚えてる

そして1番驚いたのは、あんなに揺れたのに震源地が東京近くでは無かったこと

宮城県沖、震度6強、震度5ですら立ってるのがやっとだったのにこれより大きい揺れなんで…と驚いた

 

そして非常階段からお客さんを下に案内していく

ブロック長から「念のためフロアに残されてるお客さんが居ないか見回って欲しい」と言われる

「いや…流石にそんな人居たらもう気付いてるだろうし、俺も怖いから早く降りてぇよ」とは言えずに

1人逆走してフロアを回る

 

そして2回目の大きな揺れが来た

「あぁ…俺終わったかもなぁ…」

と思いながら見回りを強行

やっぱり誰も居ない

取り敢えず急いでインカムで問題無いことを報告し、俺も避難

 

外へ出て落ち着いてから、スタッフ全員で地下の事務所に向かい状況を確認

TVに映る燃え盛るコンビナート、未曾有の被害をもたらした津波

地獄だと思った

何となく体から力が抜けるのを感じた

 

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TV局の電話は災害時など様々な情報を集め、それを伝える為に優先的に繋がるようになってるらしい

携帯は全く繋がらなかったが、TV局の固定電話からは3回の掛け直しで実家に繋がり、家族の無事を確認出来た

 

そしてその日は電車も動かないので帰ることも出来ない

みんなで手分けしてコンビニを周り色々と確保

微妙に液状化した道や、開放されたホテルのロビーで赤ちゃんをあやすお母さんの姿が今でも思い出せる

まだ俺らは恵まれてる方だ、暖かい室内で一夜を過ごせるのだから

 

深夜になるとみんな緊張状態の疲れからか床に色々引いて寝始めた

それでも小さな地震は断続的に続き、その度に事務所の外へ出て揺れが収まるのを待つ

みんなあんま寝れなかったらしい

その中で唯一俺だけ揺れが来ても起きずに、呑気にイビキをかいて寝てたらしく、それは恥ずかしいけど自分の図太さに救われた

 

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家に帰れたのは翌日の夜だった

帰宅後の荒れた部屋、地震のせいでは無く元々そうだった事を思うとため息しか出ず、そのまま深い眠りに入った

 

その後は東北に居る友人の為に北千住で高校時代の友人と募金活動をしたり、大学院の知り合いのNPOを頼って東北にボランティアに行ったり、色々とあった

 

あの地震がもたらした甚大な被害は未だに続いてる

東日本大震災は終わってない

未だ来ぬ未来を思いながらこの主観まみれのブログを綴ってる

 

9年という月日は思い出にするには早過ぎる

亡くなられた方々、すべてに冥福を

 

 

つづく